家族 in cape town 

私の勝手な判断で日本に来て10年経った
家族として接してくれる主人、その家族、に本当に感謝。

娘が高2の時、今から4年前、ケープタウンへ行き
家族再会出来ました。

娘と二人日本に来てしまったことをいつも
何か間違っているといつも思っていました。
素直に思っていることを主人に言えずに、今日まで来た。
言ったら嫌われると思っているのです。

でも時間は有限
娘の進路もあり、ここを逃したら一生行けないと思い
父の病気やお金、などクリアすることはありますが、
行きたいと強く思いました。

そこを後押ししてくれたのが、みほさんという
私にとってはメンターのような人。
お金に迷い、思い込みに浸る私が最後にたどり着いた人です。

親身なサポートのお陰で、無事に行くことが出来ました。
これは私たち家族にとってかけがえのない時間でした。

心より感謝いたします。

当時のFacebookの記事
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「変化の夏休み」
人生の折り返し地点を過ぎてもまだまだ気づく事がたくさんあって、でも意味のあるものなんだな~  
父が入院していて、家に帰れそうもない状況でした。 
一家の大黒柱という存在だけで、優しかった思い出もないけど、本人はどう思っていたのか、
聞けずに8月1日になくなり、写真の笑顔を見てこんな笑顔していたんだ、家族を愛していたのかなと思う。 
母は5人家族を支えた強い人、弱いところを見せる事はほとんどなく、葬儀が終わった今でも弔問客に追われています。
お香典はなしで!と叫びながら。 母にとってのお金は悪なのか? 
私にとって家族とは、父とは、と向き合う時間となりました。 
私達家族は、出来事はこなすけど、本当の気持ちは言えない時が多かった。
でも一緒に過ごした時間はとても貴重なものです。
父のこと、もっと知りたかったけど、テレビばかりで話すこともなく、
病気が発覚する時は必ず我慢の限界まで我慢して他の人に助けてもらう、
というパターン。言いたい事を胸に秘めて逝ってしまったのかもしれません。
一方で、南アフリカはケープタウンに、だんな様に会いに行った。
娘と共に。懐かしの我が家へ帰ってきた感覚で、とても嬉しかった。
同時にとても後悔した。なんで、もっと早く来なかったのか、
娘と父親の会話がスムーズにいかない、娘が英語を習得するチャンスを、
可能性を奪ってしまった、彼の時間も混乱させた、あー、人の人生を、
人の命を、なんてことをしたんだ。と罪悪感に打ちひしがれ、
体から力が抜け、涙が止まりませんでした。
結婚しケープタウンで暮していたのに自分の都合で日本に来てしまった私。
こちらにきてからもだんな様は娘に会いに来てくれていました。 
日本にいる間は常に不安定な心の状態の私、何をするにもひっかかりがあり、
何なのか、今回ケープに行ってよくわかりました。
私の居場所がそこにあったんだと。こんな一番大事なことに気づいた、
遅すぎかもしれないけど、認めよう。逃げずに一旦は受けとめよう。
と今受け止めている最中です。正直辛い。でも、素晴らしい愛に恵まれていたことに
気づけて本当に感謝しているのです。愛、と言う言葉にまたまた涙があふれます。
私にとっての豊かさは、愛だった。お金=愛ってことなのでしょうか。 
そうなると、またすぐにでも行きたいと思ったら、
もっと豊かになって自由にいける自分でありたい、と力が出できます。 
家族の愛は尊いと初めて感じた期間でした。 
愛を与える人になりたい、と心から思っています。 
というわけで、思いもよらぬ夏休みとなったわけですが、
あの時の私が誰かに話していたら、違う結果になっていたのかなと本当に心から思うのです。

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